万葉集発燿賛仰碑
保田與重郎氏の記号による万葉集発燿賛仰碑と歌碑が建てられています。これがその巻の1の1の歌ですね。
こもよみこもち ふくしもよみふくし持ち この岳に菜摘ます子 家のらせ名のらさね
そらみつ倭の国はおしなべて われこそをれ 敷きなべてわれこそませ
我をこそ背とはのらめ(我こそはのらめ)家をも名をも
雄略天皇は、21代の天皇ですが、やたら人を殺したという事もあり、武勇とは別の意味でその評価を落していますね。また、雄略系は息子の22代で男系が途切れて、娘が別系の24代天皇と結婚し、さらにその娘が継体天皇と結婚して今につながっているようですね。
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