長岡京朝堂院と大極殿の跡へ 11/1
11月1日は、高槻の今城塚古墳などへ行った後、昼からは阪急京都線で西向日駅まで行き、駅近くにある長岡京の朝堂院と大極殿のあとを見に行きました。朝堂院跡は以前にも訪れていましたが、その時に大極殿跡を見過ごしていましたから。まずは朝堂院跡へ寄ります。ここはきれいに整備されていて、資料が置かれている事務所もあります。そこで、長岡京の全景図を確認します。
朝堂院跡から北へ5分ほど歩いたところに大極殿跡がありました。大きな石碑が建てられていてあたりは公園になっています。藤原京や平城京のような広大な土地は残されませんでしたが、住宅街の中になんとかこれだけのエリアが確保されていました。朝堂院はいわば主要官庁の建物が集まったところ、霞が関です。その背後に控えるのが首長府である大極殿です。位置関係は三枚目の配置でわかります。
大極殿公園の一角には当時の建物を模した屋根掛けの施設が建てられていて、当時の雰囲気を伝えています。本当はもっと立派な施設が立ち並んでいたことでしょう。ここに都があったのは10年ほど、これらの建物は解体されて平安京へ運ばれていったようです。
もう一か所、前回に訪れることが出来なかった向日市文化資料館を訪ねます。長岡京に関する資料や向日市の埋蔵文化財が展示されていました。玄関脇に市内の元稲荷古墳から発掘された天井石が鎮座していました。元稲荷古墳は現存しますが、石室は工事ですでに消滅してしまったようです。
原武史 「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄 講談社学術文庫/読了・・・・・・・・・関西と関東の私鉄、国鉄の発達史の違いは今までも数々の書物でその違いが紹介されてきてますが、新たな視点として、関西への天皇の行幸によるインセンティブによって大きな影響を受けてきたという展開は面白かったですね。また、関西の私鉄の中で阪急の小林一三が国鉄、当時の鉄道省でしょうか、それに対する反抗心をあらわにしたというのも紹介されています。大阪対東京、私鉄対国鉄、さらに天皇の行幸というファクターによって解き明かされた近代思想史の一冊としてはとても興味深く読みました。
そやけど、大阪対東京で、なんで表紙写真が阪急神戸線三宮駅なんやろう(ここが高架化されているという話は一つの肝なんだけど、中心の話じゃないんですよね)最近、阪神大震災で崩れた背景の建物が建て替えられてこの雰囲気が戻りました。
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