かぎろひ歴史探訪 牟佐(むさ)の里 5/13
春の奈良歩き、かぎろひ歴史探訪で畝傍山の南西に広がる牟佐の里を歩きました。
近鉄岡寺駅⇒牟佐坐神社⇒見瀬城跡⇒沼山古墳⇒益田岩船⇒小谷古墳⇒鳥屋近隣公園⇒鳥坂神社⇒宣化天皇陵⇒倭彦命墓⇒新沢千塚古墳群⇒益田池堤跡⇒久米寺⇒久米御縣神社⇒橿原神宮前駅
5月13日は、一週間前、あるいは2日前の天気予報でも大雨と伝えられましたが、当日の朝はすっきりとした晴れ、しかも前日の雨で黄砂が洗い流され、澄んだ空気に満たされた絶好のハイキング日和となりました。
電車の窓から仰ぎ見る二上山、新緑に覆われて盛り上がっているかのような、まさに山笑うの季節となりました。
集合場所は近鉄吉野線岡寺駅。たまたま改札口で、これは何の集まりですか?と問われた方が急きょ参加されるというハプニングもあり、30名ほどの参加となりました。
岡寺駅に隣接する踏切の脇に、孝元天王軽境原宮址の碑がありました。その先に見える牟佐坐(むさにます)神社がその宮址と言われています。
第8代の孝元天皇(実在には諸説ありますが)は、日本書紀に「都を軽の地に遷す。これを境原宮といふ」とあり、境内がその宮址であるとされています。
その牟佐坐神社へ向かいます。小高い丘の神社、木々に覆われているので周囲の景色を見ることはできません。ひっそりとした神社というところでしょうか。そこに神話時代の天皇家の謂われもあるところが奈良ならではという感じです。
神社の登り口の脇に万葉歌碑がありました。柿本人麻呂の長歌、巻2-207です。妻を亡くしたことを嘆き歌う挽歌の後半部分です。揮毫は昆布富明さんという奈良県弓道連盟の会長だった方のようです。
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