かぎろひ歴史探訪 牟佐(むさ)の里 5/13
春の奈良歩き、かぎろひ歴史探訪で畝傍山の南西に広がる牟佐の里を歩きました。
近鉄岡寺駅⇒牟佐坐神社⇒見瀬城跡⇒沼山古墳⇒益田岩船⇒小谷古墳⇒鳥屋近隣公園⇒鳥坂神社⇒宣化天皇陵⇒倭彦命墓⇒新沢千塚古墳群⇒益田池堤跡⇒久米寺⇒久米御縣神社⇒橿原神宮前駅
新沢千塚古墳を後に歩き始めました。先頭は畝傍山を背景として、まだ古墳群の中を歩いています。この写真の中にも大小7基の円墳がありますがわかるでしょうか? 手前に2基、左手に5基こんもりとした円墳があります。
古墳群を後に歩いていると、前方の三輪山にだけ光が当たっている光景が目に入りました。半円錐形の三輪山の形が浮かび上がっています。山自体がご神体の三輪山が一層神々しく見えた一瞬です。
次に益田池の堤跡を訪れました。ここは、平安時代の初期、弘仁14年(823年)に作られた灌漑用の池の後です。池の大きさは40ヘクタール(0.4平方キロメートル)、貯水量は140~180万立方メートルという大きなものだったと推定されています。
ぞの時代、古代の同様の池としてはすでに満濃池や狭山池があり、それらよりは100年ほど後の池ですから、色々と技術的施工が行われていたそうです。
近鉄電車が走る音が聞こえるくらい橿原神宮前駅近くまでやってきて、久米寺へ到着しました。久米寺は、聖徳太子の弟、来米皇子の建立や久米仙人の創建と伝えられています。京都の仁和寺から移されたという美しい多宝塔がありました。
久米仙人、神通力を持って空も飛べる能力があったものの、洗濯をしていた女のふくらはぎに見とれて墜落し力を失ったとも。しかし、その後その女と結婚したらしく、それはそれでめでたしです。
最後に久米寺の鎮守社である久米御懸神社前で休憩。田中先生は、ここから橿原神宮前駅まではケンケンで200歩とか言われましたが、よく歩いたこの日、ケンケンで行く人はいませんでした。
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