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2021年5月19日 (水)

かぎろひ歴史探訪 牟佐(むさ)の里 5/13

春の奈良歩き、かぎろひ歴史探訪で畝傍山の南西に広がる牟佐の里を歩きました。

近鉄岡寺駅⇒牟佐坐神社⇒見瀬城跡沼山古墳⇒益田岩船⇒小谷古墳⇒鳥屋近隣公園⇒鳥坂神社⇒宣化天皇陵⇒倭彦命墓⇒新沢千塚古墳群⇒益田池堤跡⇒久米寺⇒久米御縣神社⇒橿原神宮前駅

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次に訪れたのは、住宅街の中にある公園、そこが中世(ほぼ鎌倉から戦国時代にかけて)このあたり一帯を支配していた越智氏の居城であった見瀬城跡です。小さな碑がその存在を伝えています。公園整備で大層な石垣が作られていますが、本来は土塁、切通しで構成されていたのではないでしょうか。

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見瀬城跡からの眺望はとても良く、二上山などともに、この丸山古墳の全景を見ることが出来ました。木々が盛り上がっているのは丸山古墳の後円部で、この左側に前方部があり、全長318メートルの奈良県最大、全国でも6番目の巨大古墳です。日本一の大きな石室を持つ古墳ですが、被葬者を含めてその全容はまだわかっていないようです。

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白橿近隣公園の中に久松潜一先生の万葉歌碑がありました。「香具山は畝傍ををしと耳成と・・・・」で有名な大和三山の歌です。大和三山を男女に見立てた歌ですが、それぞれの山が男性なのか、女性なのかという論争は今も続いています。

反歌にある印南国原、兵庫県民としては明石から加古川にかけての稲美(加古郡稲美町)と捉えたいがどうでしょうか。

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その白橿近隣公園にあったのが沼山古墳です。石室が正方形で、天井がドーム状になっているなどの特徴から、渡来系の有力者の墓と言われています。この牟佐の里は渡来系の人たちが多く住んでいたところなのです。また、羨道が石室の中央ではなく右端に寄っているのは初めて見ました。

9784122070578

江國滋 阿呆旅行 中公文庫/読了・・・・・毎月どこかへ、著者とカメラマンと付添いの方が2年間にわたり旅行に出かけた旅行記だけど、そもそもは内田百閒の阿房列車に因んだ旅行記であるのは明白。著者は内田百閒の信奉者ですから。さてこの本の読みごたえは、その無駄のない文体、さらりとした上品な運びに魅了されました。また、宮脇俊三の解説、最後にある著者の内田百閒への小文がまたすごい。

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