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2021年5月 3日 (月)

暗(くらがり)峠 かぎろひ歴史探訪下見行 大坂側へ 4/21

4月21日は、春の奈良歩き、かぎろひ歴史探訪の下見に同行させていただき、奈良から大阪へ至る暗峠越えを歩いてきました。

近鉄生駒線南生駒駅⇒応願寺⇒石仏寺⇒阿弥陀石仏⇒万葉歌碑⇒暗峠⇒上の山地蔵石仏⇒弘法の水⇒芭蕉句碑⇒枚岡神社⇒近鉄枚岡駅

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奈良側から暗峠を越えて大阪側へ降りてきました。この道は、最大斜度37度とも言われ、日本で一番の急坂の国道です。世界的に見ても、ニュージーランドの南島にあるダニーデンの坂が35度?が世界一とも言われているので、正確にはわかりませんが、ひょっとすると世界一の急坂かもしれません。

そんな坂の途中に弘法の水があります。山からの湧水ですが、そこは急坂を上ってきた人たちの休息の場所になったのか、笠塔婆がいくつもおかれ、旅人の安全を見守っています。

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豊浦橋の近くにある道標にようやく近鉄の駅の名前も出てきました。こういうきれいな道標は奈良側には見られませんでした。暗峠越えをハイキングとして楽しみとする人も多いので、奈良側にも丁寧な案内がほしいところです。

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さらに下り、少し開けた場所に松尾芭蕉の句碑がありました。「菊の香に くらがり登る 節句かな」

この年、元禄7年(1694年)6月、芭蕉は切実な間柄であった寿貞尼を亡くし、失望のうちに伊賀での盆供養を終え、大坂へ出発。奈良からこの暗峠を越えて大坂へ入ります。奈良で読んだ「菊の香や 奈良には古き 仏たち」、大坂での「この道を ゆく人なしに 秋の暮れ」から最後の句、10月8日の「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」へと続き、12日に亡くなります。

この句碑は、元々あった江戸時代の句碑が山津波で行方不明となり、明治になって作られたものです。その後大正時代に元の句碑が見つかり、今はここより更に下ったところの勧成院というお寺に建てられています。

もうずいぶん下ってきました。最終地点まではもう一息ですね。

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下川裕治 5万4千円でアジア大横断 朝日文庫/読了・・・・・・いつもながら無茶な旅を続ける著者(本人はやりたくもないとのことらしいですが)が、東京を起点とするアジア・ハイウェイと呼ばれる全長2万キロを超える道路をバスで移動するという旅の記録です。北朝鮮やビルマは政情不安で抜けられないのですが、その他の国では、過酷なバス旅をつづけています。中には、快適な高級バスでの移動もありますが、過密で悪路を走る長距離バスもあり、すべてを含めてアジアというものが見えてきます。

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