かぎろひ歴史探訪 天誅組と松倉重政の歴史 11/18
幕末の五條は、天皇の政治への転換を奉じて蜂起した天誅組の歴史があります。まず五條の代官屋敷を襲い、気勢を上げて京都へ進攻したのですが、逆に天皇側から諌められ蜂起も短期間に終息したという事件です。奈良側から見ると義挙ですが、他方から見ると幕府転覆を狙った暴発となります。歴史のミカタの違いによる大きな事件でした。その本陣とされた寺にその碑がありました。
江戸時代の初め、五條の藩主となり、五條の街の振興に大変寄与した松倉重政の碑です。五條では諸役を免除し、商業を活発にする施策を行いました。ところがその後、肥前日野江藩主となると苛政と重税搾取を繰り返し、ひいては島原の乱を引き起こす原因を作り出したので、人間というのはわかりませんね。
その松倉重政の二見城があった城跡にやってきました。吉野川の崖の上に築かれていた模様で、東方向に大きく開けた景色がありました。
五條の街中を歩くと、樹齢1000年と言われる大きなムクの木がありました。昭和34年の伊勢湾台風で上の部分が折れたということですが、それでも大きなムクの木でした。
最後に解散となった王寺駅に201系がいました。221系の進出で近いうちに大和路線から姿を消す見込みとなっています。これも歴史の一部になってしまうのでしょうか。
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