かぎろひ歴史探訪 京都の秀吉の地から東福寺へ 12/2
東山七条の交差点に出て、そこから通称「女坂」を上っていきます。この上に京都女子大学があるからかな? 妙法院の長い塀に沿って緩やかな坂を登っていきます。
登った先にあるのが新日吉(いまひえ)神宮です。ちょうど、これからお参りする豊国廟への参道を妨げる位置にあるので徳川幕府の陰謀説とかも出たようですが、実はそのご神体を隠していたとか、なかなか複雑な歴史があるようです。もともとは名前からもわかりますが、大津市にある日吉社から移されたもののようです。
ここからは京都タワー、京都駅、そして東寺の五重塔を見ることが出来ました。
さて、その先にある豊国廟への階段を上っていきましょう。全部で563弾あるという階段を上り始めました。最初は軽快でしたが、だんだんしんどくなってきました。
ようやく広い所へ出たら、そこからはさらに急な階段になって登って行かなければなりません。さすがに息が荒くなりましたが、何とか上ることが出来ました。さらに上があるというのは心理的ダメージが大きいですね。
豊国廟です。江戸時代に荒れてしまっていたのを明治になってから整備されたようです。その時、1メートルほどの大きな壺の中にミイラ化した秀吉と思われる遺骸があったのだそうですが、風化しており崩れ去ったようです。今は、それを集めて丁寧に埋葬しなおしてこの地下に眠っているそうです。
しんどい思いをして上ったご褒美はこの風景です。清水寺の全景を眼下に収めることが出来ました。遠く北山の山容と合わせて絶景を見ることが出来ました。町中の緑の多い部分は御所です。見る方向によっては、大阪の方面も見ることができるので、秀吉は御所と大阪の両方を見ることができる地に眠ったことになりますね。
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