かぎろひ歴史探訪 草壁皇子の墓から古城跡貝吹山へ 12/16
近鉄吉野線壺阪山駅⇒天誅組戦跡⇒高取町リベルテホール⇒岡宮天皇陵⇒束明神古墳⇒マルコ山古墳⇒希望により貝吹山(越智氏城跡)コースと古墳群コース(与楽カンジョ古墳⇒与楽鑵子塚古墳⇒寺崎白壁塚古墳)に分かれる⇒越智氏居館跡⇒天津石戸別神社⇒光雲寺⇒JR掖上駅
12月16日は秋の奈良歩き、かぎろひ歴史探訪の最終回で近鉄壺阪山駅を10時に出発。そこから東側に広がる旧跡を訪ねる歴史探訪でした。今回も晴天の空が迎えてくれました。これで秋の回は全て良いお天気に恵まれました。
まず訪れたのは高取町役場の近くにある天誅組の古戦場跡の碑です。
「文久3年(1963年)8月17日、天誅組は討幕の狼煙を上げるため、五條代官所を襲撃し、26日には日本一の山城、高取城を攻撃すべく攻めてきて、高取藩はここ鳥ケ峰に城代家老中谷栄次郎を総指揮に防御追跡態勢を整え、大砲4門が火ぶたを切り天誅組は五條へ敗走した」そうです。
ついで、束明神古墳へやってきました。今は神社の片隅にこんもりとした土盛りがある程度ですが、ここを発掘したときには、あまりに精緻な石組が現れ、古墳の位置関係から草壁皇子の墓ではないかと推測されるに至りました。近くのリベルテホールには、その石室の模型が展示されていました。
束明神古墳を紹介するビデオが流れます。その案内をされているのはあまりに有名な奈良出身の方ですよ。
さらに今度は、マルコ山古墳へやってきました。7世紀後半、終末期の古墳で2段の墳丘を持った円墳または6角形墳とみられています。ちょうど高松塚古墳やキトラ古墳と同じような雰囲気です。皇族関係とすると、持統5年(691年)に亡くなった河島皇子の墓とみる説もあります。
良いお天気のもと、古墳めぐりが続きます。
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