寝屋川の石宝殿古墳 かぎろひ歴史探訪番外編
1月13日に訪れた寝屋川のある石宝殿(いしのほうでん)古墳です。北河内で唯一の終末期古墳で、その特徴は巨大な石をくりぬいて造られた横口式石槨にあります。直径3m、高さ1.5mの石をくりぬき、底石の上にかぶせています。その前面には板状の大きな石が羨道を作っています。
くり抜いた部分の内部は幅0.9m、高さ0.8m、奥行き2.2mです。ただし、入り口幅は0.5mと少し狭くなっています。この時代まだ火葬はされいませんから、棺を入れたとしても入り口の幅が狭くなっているのは謎です。また、入り口の左側の上下にくぼみがあって、ここにはめ込んで開閉できる仕組みがあったことがうかがえます。
古墳がある場所は、木々が無かったとしたら、淀川が流れる風景を高みから一望できるところです。その時代の土地の有力者の墓としても、その特異な形状と丁寧な造りから見て相当重要な遺跡であることが分かります。
同じように石をくりぬいて造られた横口式石槨の例は日本にほか二つしかありません。一つは有名な明日香の鬼の雪隠、鬼の俎板と呼ばれるものです。底石である鬼の俎板が上方にあって、その下に転げ落ちたかのように鬼の雪隠と呼ばれる上の部分があります。これは石宝殿古墳のものと比べても格段に大きな石組です。
もう一つは斑鳩町で住宅開発の折に偶然見つかった御坊山3号墳です。こちらは石宝殿古墳のものより一回り小さな石組です。現在は橿原考古学研究所附属研究所で保存されています。上の写真は構造が分かりやすいですね。
ということは、もともとの場所で当時の様子をそのまま伝えているのは寝屋川の石宝殿古墳のみということになり、その重要度は増すばかりです。これが奈良にあればもっと宣伝しているところなのでしょうが、歴史認識の深さの度合いが足りないのか、何度か訪れた石宝殿古墳で他にこれを見に来られた方とは出会ったことがありませんでした。
宮崎正弘 葬られた古代王朝 高志国と継体天皇の謎 宝島新書/読了・・・・・・・・継体天皇が応神天皇の五世の子として見いだされ、25代武烈天皇で途切れた直系を継いで26代天皇として即位したのは507年。そこから実質、現在の天皇への系統がつながっていることを思うと大変なピンチヒッターなのですが、ほんまに天皇の血筋かどうかは以前から議論されていたところ。それで継体天皇のことを書いてある本を探していて本書に当たったけど、書いてある論点が絞り切れず結局なにがなんだかわかりませんでした。継体天皇は謎のままでした。買う本を間違った。
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