かぎろひ歴史探訪 番外編 ~長岡京跡から竹の径と向日丘陵の古墳を歩く~ 2/24
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長岡京大極殿跡の西へ200メートルほど行くと、向日神社があります。堂々とした石の鳥居、石灯篭から長い参道が続いているのが見えます。
この参道は大変長く、それだけでも立派な神社であることが分かります。参道の真ん中を時々車が通ります。これは珍しいことですね。
渡来人である賀茂氏がこの地にやってきた5世紀ころと考えられ、同じころにこの近くに乙訓の宮を作った継体天皇との関わりにもこの向日神社との関係があると考えられています。なんだか最近、やたら継体天皇の故事に出会いますね。
向日神社の拝殿に来ました。この奥に幣殿、本殿がありますが、現在は覆い屋の中に入っていて、外から見ることはできません。この本殿が明治神宮のモデルとなりました。向日神社の宮司の六人部家(むとべけ)は秦氏の出身とされ95代を数えます。
向日神社がある勝山という丘には、3世紀末の築造とされる元稲荷古墳があります。時期としては、最初の巨大前方後円墳とされる箸墓の築造から数十年後という日本の古墳の中でも最初期に位置する重要な古墳です。しかも、前方後円墳ではなく前方後方墳という珍しい形式なのです。
元稲荷古墳の説明があります。全長94mで、神戸にある西乙女塚古墳と同形、同規模だというとです。大和政権が前方後円墳を自身の勢力伝搬の旗印として広めようとしていたとされる時代に、それに反した形式で築かれた元稲荷古墳はそれだけでも大和に服従しない大きな勢力がここにあったことを示しているのかもしれません。
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