かぎろひ歴史探訪 番外編 ~長岡京跡から竹の径と向日丘陵の古墳を歩く~ 2/24
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向日市には向日丘陵という連なる丘があり、その丘の尾根に沿って古墳時代初期からのこの地域の首長者のものとみられる古墳が点在しています。そのひとつ、五塚原(いつかはら)古墳があります。過去の台風による倒木被害で立ち入ることができませんが、3世紀の最初期の古墳である箸墓と同じバチ型の前方後円墳で全長91m、箸墓と同時期に作られたのではと考えられています。
桓武天皇の皇后陵として宮内庁が管轄する伝高畠陵古墳です。直径65mの古墳時代前期の円墳であるとみられています。桓武天皇とは時代が合いませんね。
向日市は京都の山城の地でもあり、竹林がたくさんあります。そんな竹林の径が向日丘陵に連なっています。これは独特な景観ですね。そんな竹の径を歩いていくと寺戸大塚古墳があります。これは古墳時代前期、全長98目mの前方後円墳です。前方部は竹林の土取りのために大きく土が削られていました。
次は墓地の中にある南条古墳です。直径23.5m、高さ3.5メートルの小振りな円墳です。発掘調査では墳丘には葺石が施され、周囲には埴輪が並べられていたということで、丁寧な埋葬の様子がうかがえます。
住宅街の中にあるのは淳和天皇火葬塚というもので、桓武天皇の第三皇子であった淳和天皇がここで火葬されたということです。火葬された後、京都市大原野の西山に散骨されたそうです。かなりさばけた人だったのでしょうか。
最後は市街地へ戻ってきて、物集女車塚古墳です。これは6世紀中ごろの古墳時代中期の前方後円墳です。上の淳和天皇の棺を運んだ車を埋めたとの伝説で車塚古墳と言われています。ここは整備されて公園化していますが、コロナ前は定期的に石室が公開されていて、2020年2月にはその様子を見たことがあります。
このように向日市にはいくつもの最初期のものや、桓武天皇にまつわる古墳があったり、古代が眠っている町でもありました。
近衛龍春 家康の女軍師 新潮文庫/読了・・・・・・・家康の側室だった於奈津の方、家康に同行して関が原、大阪冬の陣、夏の陣にも同行したという。小説ですからいろいろと話を盛り込んであるとは思いますが、時代背景などの書き込みが微に入り細に入りしているので、臨場感をもって読めました。この作家の作品は初めてでしたが、ちょいとまとめて読んでみようかな。面白い。
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