近江大津京 壬申の乱の道を歩く 近江大津京跡 11/7
近江大津京を歩く、その本丸というかメインの場所が近江大津京錦織遺跡です。昭和49年、昭和53年に調査され、大規模な建物の柱跡などが確認され、ここが近江大津京の所在地であることが確実視されるようになりました。今に埋め戻され、公園のようになっています。
調査された時の様子です。連続する柱跡が見られます。隣接地は既に人家だし、左側には道路が走ります。この地域に埋蔵文化財への意識があれば、それらの工事の時に調べられていたでしょうね。
この場所は、京阪電車の錦織車庫のすぐ西側です。柱跡が見つかったのは、内裏南門にあたる部分です。茶色になっている部分がおそらく発掘調査されているところなのでしょう。そうすると、南北の道路になっている部分は、昔の朱雀大路にあたるのでしょうか。
15分ほど歩いて少し南下し、大津市役所の裏へまわると壬申の乱で敗れた、天智天皇の第一子、大伴皇子のお墓があります。明治になって追贈され弘文天皇となったそのひとの弘文天皇長等山前陵です。大友皇子は壬申の乱の後、東国へのがれたとか、亡くなった場所は別の場所だとか、義経伝説に似た話がいくつか残っています。
その弘文天皇の御陵の裏へまわると荒れ果てた参道の先に、見事な桧皮葺の建物がありました。新羅善神堂です。これは1347年に足利尊氏が寄進したとされる三井寺の北の守護神だそうです。周辺の寺社は戦や災害で当時の建物で残るものが無い中、これは唯一創建時の姿を残しているそうです。見れて良かった。
宮部みゆき さよならの儀式 河出文庫/読了・・・・・・・宮部みゆき初めてのSF作品集とのことで期待一杯で読みました。そこにあったのは、やはり宮部ワールドでした。ひと時も目を離すことが出来なくなる緊張感が持続します。SFというと、小松左京を筆頭にたくさん読んだけど、その系譜の中にあるものの、新たな魅力にあふれていました。
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