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2024年4月29日 (月)

総持寺から乙訓寺へ 4/13

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4月13日は、歴史探訪・番外編の摂津富田コース、その下見の補完に出かけたあと、まだ時間があったので阪急電車に乗って一度足を運んでみたかった乙訓寺へ行ってきました。

阪急西向日駅から西へ直線距離で1.5kmほど、ただ道がグネグネで2kmほど歩きます。乙訓寺へ到着です。

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乙訓寺がある場所は、継体天皇弟国(おとくに)宮跡と言われていますが、それに関する記述は境内にはありませんでした。

乙訓寺から北へ1.0kmほどのところに継体天皇に纏わる角宮神社があることから、この辺り一帯が宮跡ではないでしょうか。

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さて、乙訓寺というと桓武天皇が藤原種継の乱に連座して早良親王(750-785)をここ乙訓寺へ幽閉しています。

その後淡路島へ流された早良親王が亡くなった後、桓武天皇の周辺に返事や不幸が起きたことから、乙訓寺には早良親王の供養塔が置かれています。

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乙訓寺はそれだけでなく、空海(774-835)が811年に嵯峨天皇から寺の別当に任じられ荒廃した乙訓寺の修理造営に努めました。

また812年には最澄と空海が初めて会ったのがここ乙訓寺であり、密教の法論を戦わせています。

その後空海は最澄に密教の奥義である灌頂伝授を行うことを約束しました。

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現在の寺の復興には5代将軍綱吉とその母、桂昌院が関わっているのですが、幾度もの盛衰を経て、今日の乙訓寺があるようです。

それだけ、重要な場所であるという土地の意識が連綿と続いているのですね。

乙訓の広野を歩いていると、この下に継体天皇弟国宮、ひと時の都があっても何ら不思議ではないと思った次第です。

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