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2024年5月19日 (日)

信貴山城跡はこんなところだった 5/7

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5月7日はいつもの生駒詣での帰りに信貴山に登り、朝護孫子寺の先にある信貴山城跡を目指しました。

信貴山城はこんな地形を利用した山城で、朝護孫子寺から山を登り、雄嶽と雌嶽の鞍部から雄嶽の方向に構えが展開していました。

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山道から少し入ったところに立入屋敷跡の平たい土地がありました。

木々が旺盛に伸びていて、広場という空間ではありません。

山中の平地から屋敷跡だっただろうというのを感じ取るだけです。

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山道から少し上がったところにあるのが、松永屋敷跡です。

一応、柵がめぐらされているだけで、その屋敷跡も木々に占められています。

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信貴山城では、戦国時代の武将松永久秀が信長に攻められ、信長が欲しがっていた名物平蜘蛛の茶釜とともに天正4年(1576年)10月10日に爆死しました。

40分に一本のバスに乗るべく、急いで山を降りバス停に到着、何とか間に合いました。

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今はバスが走る信貴生駒ラインの信貴山門から高安山のケーブル駅までの間には、昭和5年から昭和19年の短い間、信貴山上鉄道線、つまり電車が走っていました。

さて、ケーブルで高安山から近鉄信貴線の信貴山口駅まで降りていきます。ケーブルに乗るなんて、なんだか観光気分です。

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信貴山口駅で待つこと10分ほど、ようやく電車がやってきました。

山を降りてきて、こういう大量輸送の交通機関を見ると、先を急がなくてもいいんだという開放感から、なんだかほっと安心しますね。

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金田章裕 道と日本史 日経プレミアムシリーズ新書/読了・・・・・・・書名そのまま、道に纏わる古代から現代に至る歴史の解説です。古代の道は、政権が奈良に一極集中して敵も居なかったことから、畿内では数十メートルの幅、しかも直進の道が造られました。歴史が進むとともに、政権と対峙する勢力が生まれるなどして道が細っていき、グネグネと曲がって敷設されるなど、歴史を反映するものとなりました。古代のハイウェーの跡をどこかに探しに行きたいものです。

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