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2024年5月15日 (水)

土師ノ里界隈歩き 5/2

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GW中の5月2日は、天気も良かったので以前から気になっていた藤井寺市の土師ノ里(はじのさと)界隈を歩いてみました。

土師ノ里って、古代の陶工の職業名をそのまま地名にしているところから、もうそのあたりの歴史が伺えます。

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近鉄南大阪線土師ノ里駅の改札口を出るともう目の前にあるのが鍋塚古墳です。

その背後にある中津山古墳の陪塚ですが、鍋塚古墳は一辺63mを測るかなり大きな方墳なのです。

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さて、土師ノ里界隈を西へ向い、最初に訪れたのが尊光寺です。

ここは天誅組に最年長の50歳で記録方として参加し、その後斬首された伴林光平の生家です。

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その尊光寺の近く、すぐ北側なんですが、そこにあるのが、伴林氏神社です。

ここは昭和になってから、古代に軍事を司った大伴氏を祀る神社として「西の靖国」とされ、靖国神社から手水屋(写真左)が移築されるなどした神社です。

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西へ向っていたのを今度は東へ戻ってくると、第19代允恭(いんぎょう)天皇陵と言われる市ノ山古墳に立ち寄ります。

ここは墳丘長230mを測る大型の前方後円墳で、5世紀後半の築造とみられています。

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允恭天皇陵から北西に向かうと式内社の志貴縣主神社があります。

奈良時代、この一帯は「志貴(磯城)の県」という朝廷の直轄地で、この神社に河内の国庁が置かれていたとされています。

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さらに北西へ歩いて行くと、以前にもやってきた国府遺跡に到達します。

国府遺跡は、旧石器時代から中世に至る集落遺跡で、飛鳥時代には衣縫廃寺が創建され、塔心礎石が現在でも史跡内に残っています。

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小宮信夫 鉄道利用の最新防犯知識 「景色解読力」を身につけて危険回避 交通新聞社新書/読了・・・・・・なぜ犯罪が起こるのか?ということを犯罪原因説と犯罪危険説とに分けて説明していて、それはそれでためになったし面白かったのですが、鉄道と関係ない自論の展開に全体の60%を要し、残り40%の部分でも鉄道に関する内容はその40%(実質16%)ほど、それもあまり機能に関する話は少なく、全体として鉄道や交通の話しとはほど遠い内容でした。交通新聞社新書としては異例の交通に関係ない内容の一冊で、こんな本をこのシリーズで出してほしくなかったなぁ。

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