阿波座の長楽庵から野田阪神へ 写真展・番外歴史探訪 5/31
5月31日は私の写真展「鉄道万葉集」その2の開催中でしたが、ちょうど奈良歩き、かぎろひ歴史探訪の方々が来られたこともあり、会場の長楽庵から野田阪神までを歩きました。
長楽庵を出て北へ向い、元の塩干魚市場であり、戦後の一時、飛行場にもなっていた靭公園の中を通って、近くの公園にやってきました。
関西法律学校、現在の関西大学発祥の地の碑が立っていました。設立に当たっては大津事件の児島惟謙も関わっていました。
さらに北へ向かうと、元津和野藩蔵屋敷跡に建つ花乃井中学校の敷地の角に「此花乃井」の顕彰碑がありました。
明治元年の明治天皇行幸に際して、この井戸の水を汲み上げて「玉水」として献上したということです。
土佐堀通りに出たところに、明治時代のジャーナリストである宮武外骨にゆかりの地碑がありました。
宮武外骨が世の中のすべてに事を「滑稽」ととらえた滑稽新聞を発行した新聞社がここにあったというゆかりです。
土佐堀通りを西へ進むと、料亭?割烹の建物の脇に、薩摩藩蔵屋敷跡の碑がありました。
土佐堀通りはまさに土佐堀という運河の跡で、その両岸には各藩の蔵屋敷が立ち並んでいました。
土佐堀通りから北へ向った大きな土佐堀3丁目交差点の北西角に小説「泥の河」舞台の地の碑がありました。
宮本輝の小説「泥の河」は、堂島川と土佐堀川が合流して安治川と名前を変えるこの辺り一帯を舞台としています。
小説「泥の河」の舞台のひとつである船津橋を渡ったところにあるのが、大阪市中央卸売市場本場です。
朝は多くの車が出入りする活気に満ちているのですが、夕方はその喧騒がうそのように静まり返っていました。
野田の古い町並みの中に入ると、さらに静けさに満たされていて、その一角に野田恵比寿神社があります。
古代、この辺りはいくつもの島が点在していた地形で、陸地化した平安時代以降人々が住み始め、この神社もその頃に創建されたようです。
野田恵比寿神社の北側には浄土真宗の極楽寺というお寺があります。
ここは戦国時代に本願寺10世の證如上人を守るために21人もの門徒が討死したということで、碑が建てられ語り継がれています。
環状線野田駅が見えるところまで歩くと、多摩川の交差点に野田城跡の碑がありました。
この辺りは戦国時代の野田城があったところで、信長の石山本願寺攻めや大阪の陣での激戦があったそうです。
そうそう、このようなルートを歩いた後、皆さんと共にビールでのどを潤したのは言うまでもないことですが。
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