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2024年6月30日 (日)

私の写真展「鉄道万葉集」その2から

今から1300年前、万葉の時代の旅は徒歩でした。その道はできるだけ勾配も緩く、そしてまっすぐに延びる古代の道でした。

鉄道の黎明期、線路を敷いた路線もなるべく緩い勾配とまっすぐなルートを選んだため、万葉の時代と重なる風景が今に伝えられています。

そんな風景の中にみる「鉄道万葉集」を追いかけてみました。

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二上山(ふたかみやま) 近鉄南大阪線 二上神社口-当麻寺間

うつそみの ひとなる吾や 明日よりは 二上山を 弟世とわが見む  大来皇女 巻2-165

(肉体を持つ人間である私は、弟が葬られた今、明日からはその墓のある二上山を弟として見ることになるのか)

刑死した弟の大津皇子の屍が殯宮(もがりのみや)から二上山に移し葬られた時に、姉の大来皇女が哀しみ痛み詠んだ歌です。悲運の大津皇子の墓は二上山山頂にあるとされています。

2018年の梅雨の真っ只中、二上山が見える撮影ポイントで待っていると近鉄の観光特急「青の交響曲」がやってきました。田植えが済んだ田には二上山の影が映り込んでいます。

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宇治川 (うじがわ)  JR奈良線 宇治川橋梁

もののふの 八十氏河の 網代木に いさよふ浪の 行く方知らずも 柿本人麻呂 巻3-264

(もののふの多くの人、その宇治川の網代の木に漂いつづける波のように、行く末のわからないことよ)

この歌は、柿本人麻呂が近江国から藤原京に戻って来る途中、宇治川のほとりに到ったところで詠んだ一首です。

かつて旧都であった近江京や宇治の行京への思いを馳せながら、自らの旅の身の不安な心を鎮めようとして詠んだ歌ということです。

人麻呂は「八十氏」(やそうじ)と氏河(うじがわ)の「うじ」をかけて歌っています。

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狭岑島(さみねのしま) 塩飽諸島 JR予讃線  宇多津駅  青野山展望台

沖つ波 来寄る荒礒を 敷栲の 枕とまきて  寝せる君かも 柿本人麻呂 巻2-222

(沖の波が打ち寄せる荒磯を枕にして眠っていらっしゃる君よ、実は岩の中で亡くなっている君よ)

万葉集にある柿本人麻呂の歌に讃岐の狭岑島とあるのは、現在では埋め立てによって地続きとなってしまった坂出市の沙弥島(しゃみしま)のことです。

狭岑島を含む塩飽諸島は、瀬戸大橋建設の時に土台となり、四国と本州をつなぐ役割となりました。

JR宇多津駅からタクシーを飛ばし、青野山展望台へ行き、眼下に広がる瀬戸内海の絶景を目の当たりにしました。岡山と高松をつなぐマリンライナーが写っています。

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愛川晶 落語刑事サダキチ 埋蔵金伝説と猫の恩返し 中公文庫/読了・・・・・・・一時は落語家を目指したベテラン刑事平林サダキチと新人刑事三崎優子、さらに落語界のホームズこと林家正蔵が町の事件を落語のストーリーに沿って解決していくという展開が面白いシリーズものです。今回は、猫の恩返しと死ぬなら今、反魂香、熊の皮をネタに事件が展開し、解決を見ました。

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