私の写真展「鉄道万葉集」その2から
今から1300年前、万葉の時代の旅は徒歩でした。その道はできるだけ勾配も緩く、そしてまっすぐに延びる古代の道でした。
鉄道の黎明期、線路を敷いた路線もなるべく緩い勾配とまっすぐなルートを選んだため、万葉の時代と重なる風景が今に伝えられています。
そんな風景の中にみる「鉄道万葉集」を追いかけてみました。
平群(へぐり)の山(矢田丘陵) JR関西線 三郷駅 大和川左岸の高台
八田の野の 浅茅色付く 愛発山 峰の沫雪 寒く降るらし 作者不詳 巻10-2331
(八田の野の浅茅が黄葉しはじめた。あの有乳山は峯の沫雪が冷たく降っているらしい)
有乳(あらち)山は、滋賀県と福井県にまたがる古来の愛発(あらち)の関があったところ。
奈良の矢田の山では黄葉が始まったけど、有乳山ではどうだろうと思いをはせています。
JR三郷駅から南の方向を見ると、高台の上に新興住宅街が立ち並んでいるのが見えました。
坂道と階段を苦労して登っていくと、平群の里を一望できる絶景と出会いました。
武庫川 (むこがわ) 東海道線(JR神戸線)武庫川橋梁
武庫川の、水脈を早みと、赤駒の 足掻くたぎちに、濡れにけるかも 作者不詳 巻7-1141
(武庫川の水の流れが早いからと赤駒が足掻く水しぶきに、わたしは濡れてしまったことよ)
武庫川は、兵庫県中東部の篠山市から流れ出て、宝塚市付近を経由して西宮市で大阪湾に流れこんでいます。
武庫川には南と北に2ヶ所の渡しがありました。
ひとつは「西新田の渡し」で、大坂から尼崎を経て西宮へ向かう中国道(浜街道)で、現在の西宮市小松町あたりを渡っていました。
もうひとつは「髭(ひげ)」の渡し」で、京から昆陽(伊丹市)経て西宮へ向かう山陽道、西国街道で、西宮市里山町あたりを渡っていました。
眉山(びざん) JR牟岐線 阿波富田駅 富田川橋梁
眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ船 泊知らずも 船王 巻6-998
(雲遠く眉のように見える阿波の山を目ざして漕いでゆく船が、どこに泊るかを知らぬことよ)
船王(ふなのおおきみ)は、天武天皇の孫のひとり。父の舎人親王は天武の息子として最後まで生き残った皇子。兄は孝元女帝に疎まれ、不遇の下に歿した第47代淳仁天皇。
この歌は天平6年、聖武天皇が難波宮へ行幸されたときに船王が随行して作った歌とも言われており、実際には見えない風景を詠んでいるようです。
この歌の「眉のごと」から、なだらかな稜線を持つ眉山の名前のもとになったといわれています。
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