粉浜から住吉大社へ さらに熊野街道を歩く 10/09
10月9日は好天だったこともあり、また来年の写真展のネタ撮りに出かけました。
南海難波駅でのラピート、登場から30年を経ましたがそのデザインの斬新さは今も変わりません。
さて、南海本線を粉浜で降りて、駅前にある犬養孝先生の歌碑をまずは訪問です。
住吉乃 粉濱之四時美 開藻不見 隠耳哉 戀度南 (作者未詳 巻六 九九七)
「住吉の 粉浜のしじみ 開けもみず 隠りてにみや 恋ひわたりなむ」
(訳)住吉の粉浜の蜆が蓋を閉じているように、私は、胸の思いもうちあけることもせず、じっと心のうちに籠めたまま、思いつづけることであろうか。
粉浜の商店街を抜けて住吉大社へやってきました。
住吉大社は摂津国一ノ宮として信仰され、禊祓の神、海上安全の神として崇敬されており、住吉造と呼ばれるこれら本殿の4棟が国宝に指定されています。
境内には秋祭りが近いのでしょうか、関西ではあまり見ることが無いお神輿が置かれていました。
大阪のこの辺りから南へかけてはふとん太鼓、さらに南へ行くとだんじりがメインになってきます。
住吉大社を南へ出て少し行くと、俗に住吉さんの弁天社と呼ばれる浅澤社があります。
ここは、市杵島姫命を祭神とする芸事、作法、美容を願う神社で、女性の守護にあらたかな神としても信仰されます。
また、万葉集にも「住吉の 浅沢小野の 杜若 衣に摺りつけ 着む日知らずも」と詠まれる杜若の名所でもあります。
更に南へ歩くと墨江小学校があり、そこは古代の津守廃寺跡でもあります。
昭和15年(1940)この付近で白鳳時代(7世紀後半)の瓦や土器が発掘され、古代のお寺があったと推察されています。
津守廃寺の後進とされる津守寺が明治元年まであったようですが、廃仏毀釈で廃寺にされてしまいました。
これらの史跡は、熊野街道に沿って存在しています。
熊野街道は、熊野詣が盛んになった平安時代から鎌倉時代にかけて整備されました。
その起点は先日歴史探訪・番外編で行った大阪の渡辺の津にあたります。
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