南海汐見橋線の空振りからの天下茶屋歩き 01/30
1月30日はみんなが行くものだから、春に引退ということで復刻塗装になった南海2200系を求めて、地下鉄天下茶屋駅から歩いて汐見橋線西天下茶屋駅までいきました。
レトロなたたずまいの西天下茶屋駅ですが、この日はあいにく2200系はお休み、2000系が運用についていました。木曜日は車両点検日なのでしょうか。
ふと記憶をたどると、その前日に阿倍野でのコンサートへ行くときに、古代、阿倍野にあった阿部神社の礎石が天下茶屋の公園にあるというのを思い出して検索すると、西天下茶屋駅から遠くないところなので、さっそく歩き始めました。
紀州街道に面した天下茶屋公園の中央に、看板とともに思ったよりも小さな礎石がおかれていました。
奈良時代の阿部氏の氏寺である阿部神社は、今の近鉄阿倍野駅の南側近く、松崎町あたりにあったと言われ、この石は塔の心礎石と言われています。
天下茶屋公園の南200メートルほどのところにこのような小さな囲われたところがありました。
ここは、秀吉が大阪城から住吉大社参拝や堺へ出かけるときに立ち寄って茶の湯を楽しんだ故事で有名な天下茶屋跡です。
ここには、天下茶屋跡とする碑と説明版があります。
昭和20年の戦災に遭う前は、5000平方メートルにも及ぶ広大な敷地に御殿やいくつもの建物があったそうで、なんとも残念なことですね。
説明版にあるように、広大な敷地の中に池と建物が配されていたようです。
それにしても、天下茶屋と書いて、どう読んでもこれは「てんかぢゃや」としか読めないんですけれど。
いつから、「てんがちゃや」という読み方になったのでしょうね。さらに歩きます。
森浩一 日本神話の考古学 角川新書/読了・・・・・・古事記、日本書紀などに記載されている日本神話はあくまで神話なのか、それとも事実に基づいた神話なのか、考古学を熱く語っていた著者によるずいぶん切り込んだ内容の一冊。そもそも、それ以前にあったとされる天皇記や国記が失われているため、古事記が一番古い書物とされていますが、その目的と利用方法について考えると、単に想像の上の神話とは考えにくいのは当然です。残念ながらそのあたりには触れられていませんが、熱い魂を持っていた著者による客観的?客カン的思考としての展開に巻き込まれていきました。
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