生駒詣での帰りに三宅町を歩く 03/10
3月10日はいつもの生駒詣での帰りに近鉄田原本線の黒田駅で下車、黒田大塚古墳などを見た後、今度は北上して三宅町に入り、陽の風景という広場にある犬養孝先生揮毫の万葉歌碑を訪れました。先生の長歌の歌碑は珍しいですね。
長歌
うちひさつ 三宅の原ゆ ひた土に 足踏み貫き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の児故そ 通はすも我子 うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷の腸 か黒き髪に ま木綿もち あざさ結ひ垂れ 大和の 黄楊の小櫛を 押へ挿す うらぐはし児 それそ我が妻 巻-13-3295 作者未詳
反歌
父母に 知らせぬ児故 三宅道の 夏野の草を なづみ来るかも 巻-13-3296 作者不詳
その陽の風景のすぐ北側には、聖徳太子が法隆寺を建立するときに通ったとされる飛鳥と斑鳩を結ぶ太子道沿いに杵築(きつき)神社がありました。
この辺りは屏風という地名らしく、太子がここで休憩するときは村人が屏風を立てて、風をよけたからとされます。
環濠集落が点在する三宅町から今度は東へ向かい、近鉄柏原線を越えたところに石見(いわみ)鏡作(かがみつくり)神社がありました。
このあたりにいくつかある鏡作神社の一つで、石見の鏡造部の氏神さんのようです。
石見鏡作神社から南東へ方向を変えて、寺川を渡ったところが近世の大和川水運の物流拠点となった今里の浜です。
そこにある田原本の杵築神社にあるのが今里の蛇巻(じゃまき)です。
蛇巻は旧暦の端午の節句(今は6月の第一日曜日)に農作物の豊作と成人男子の祝いをするための行事に使われるものらしいです。
今里の浜からさらに東へ歩いて、せっかくなので唐子・鍵(からこ・かぎ)遺跡までやってきました。
とても広いエリアが公園として開放されていて、地図で調べると条理の9区分正方形がそれに当たっていました。
植松三十里 万事オーライ 別府温泉を日本一にした男 PHP文芸文庫/読了・・・・・・宇和島の米穀問屋に生まれた油屋熊八が一時は株で大儲けするもその後財産を失い、アメリカへの渡航で勉強したことを糧に、別府温泉で次から次のアイデアを実現して今の隆盛の基礎を作ったという一代記です。猪突猛進型の人生とそれに振り回される周りの人たちの様子が植松三十里の冴えた筆力で描かれ、実に読ませます。
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