かぎろひ歴史探訪 母間人皇后、妃膳部菩岐岐美と共に眠る叡福寺 04/10
近鉄喜志駅⇒(バス10:10発)⇒推古天皇陵前下車10:23⇒推古天皇陵⇒仏陀寺古墳⇒用明天皇陵⇒太子和みの広場⇒叡福寺⇒(バス)⇒近鉄喜志駅
4月10日は春の奈良歩き、かぎろひ歴史探訪で大阪府の太子町、近鉄喜志駅に集合して、このシリーズのテーマ「聖徳太子」にちなんで、御廟のある叡福寺を目指します。
近鉄喜志駅前には、その御廟があることを示す大きな石碑が建てられています。
バスに乗って推古天皇陵前で下車、そこから少し歩くと東西に長い三段築成の長方墳の巨大な推古天皇陵が見えてきます。
前回近鉄岡寺駅から歩いて行った植山古墳に葬られた推古天皇は、後にこちらの方に移されています。
仏陀寺にある仏陀寺古墳は石室の蓋石が露出しているだけで、中を見ることはできませんが、蘇我倉山田石川麻呂の墓と伝えられている古墳です。
石川麻呂は、謀反を疑われて自殺しているといいます、古代の権力闘争ですね。
65×60メートルの方墳で、向山古墳と呼ばれる用明天皇陵へやってきました。
第31代の用明天皇は、欽明天皇を父とし、蘇我稲目の女堅塩媛を母としていて、聖徳太子の父でもあります。
太子町を歩いていると、このようなマンホールがありました。
聖徳太子が定めた十七条憲法の第一条の条文のはじめの語句「和を以って尊しと為す」が刻まれています、さすが。
最後にやってきたのは、聖徳太子の御廟があり、それを守護するために坊舎を営んだのに始まる叡福寺です。
神亀元年(724)に聖武天皇の勅願によって創建されたといわれています。
その叡福寺にあるのが聖徳太子の御廟、叡福寺北古墳で、古墳の石室の入り口には開口部には「御霊屋」と称される唐破風屋根の覆屋が建立されています。
ここには太子のほか、太子の母である穴穂部間人皇女、太子の妃である膳部菩岐々美郎女が葬られているとみられます。
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