服部緑地 日本民家集落博物館 05/20
5月20日は、近い将来に予定する歴史探訪・番外編の下見に服部緑地へ出かけました。
ここには、日本の民家を一堂に集めた日本民家集落博物館があります。
河内布施にあった元財務大臣「塩爺」こと塩川正十郎氏の生家の長屋門が入り口になっています。
「飛騨白川の民家」は、昭和31年に関西電力株式会社の寄贈によって服部緑地公園に移築され、この博物館が設立されるきっかけとなった建物です。
建物にはかつて養蚕を行っていた展示がなされています。
「日向椎葉の民家」は、昭和34年(1959年)に宮崎県東臼杵郡椎葉村から移築復元されました。
昭和30年(1955年)、上椎葉ダムが完成し多くの集落が水没したため、旧椎葉家住宅も放棄されることとなりここへ移されました。
「摂津能勢の民家」は、昭和35(1960)年に大阪府豊能郡能勢町から移築復元されました。
江戸期の寛政2(1790)年に亀岡藩が贅沢を禁ずるために発した「妻飾り制約令」に反して屋根妻に家紋と懸魚(げぎょ)が取り付けられていることから、江戸時代中期以前の「摂丹型民家」と考えられています。
「小豆島の農村歌舞伎舞台」は、昭和38年(1963年)に香川県小豆島内海町吉田から移築復元されました。
小豆島では江戸時代から明治時代にかけて農村歌舞伎が盛んで、田植えや収穫を祝い、村人達が自ら歌舞伎を演じました。
「南部の曲家」は、昭和39(1964)年に岩手県紫波郡矢巾町から移築復元されました。
曲家(まがりや)は昭和40年代後半まで岩手県内に137軒あったそうですが、現在ではほとんど見られなくなり、貴重な一棟となっています。
「奄美大島の高倉」は、昭和33(1958)年に移築されたものです。
高床式の倉庫ですが、現在では奄美大島や沖縄といった南西諸島と、八丈島にわずかに残るのみとなりました。
「堂島の米蔵」は、昭和35(1960)年に大阪市堂島から移築復元されました。
米蔵は曽根崎川(蜆川)に面して建てられていたようで、その川は大正末期までに埋め立てられてしまいました。



























































































































































































最近のコメント