阪神沿線ぶらり撮り歩き 尼崎~打出 2/10
2月10日は天気も良く、人込みを避けて散歩しようと、まずは阪神尼崎駅から撮り始めました。まぁ、暇つぶしですが。阪神の8000系と大好きな形式の9300系です。9300系は、やはりかっこええなぁと思うのですが、どうでしょうか。
難波線を通じて乗り入れている近鉄車もやってきます。白い車両は近鉄が大阪の海遊館とコラボしたラッピング編成です。車内もそれらしいラッピングやひらひらとした短冊がつられていたりします。ただ、それほど鮮やかな色目のデザインではなく、薄めのカラーでデザインされているため、インパクトは少ないですが。
そうするうちに、唯一残る阪神顔の元赤胴車8502編成がやってきました。須磨浦公園行きの特急に就いています。梅田-尼崎間の急行運用でよく見かけて、都落ちのようなのを感じていましたので、特急運用はうれしいですね。
尼崎からセンタープール前(出屋敷駅には先客がおられ、敬遠しました)へ来ました。西側に直線があるのですが、昼からですからどうしても逆光になります。山陽特急と8000系。
そのあと、西宮駅まで移動しました。山陽特急がここで行き違います。いずれも5000系の車両ですが、左の5702編成は2018年にリニューアル化されていくつかの機器が交換され、シートも中間車を除いてロング化が図られました。連結器も替えられていますね。そして、阪神顔が残る5000系がやってきました。子供のころから見慣れている顔なので、なんだかほっとします。
5000系に乗って、打出まで来ました。ほとんどの区間で高架化されている阪神電車ですが、このあたりはまだ地上を走ります。そのうち、ここも高架になるのでしょうか。さて、この打出駅から芦屋~西宮の歴史散策を始めます。
河合敦 殿様は「明治」をどう生きたのか 扶桑社文庫/読了・・・・・・幕末から明治維新を経て、明治4年の廃藩置県によって、全国で大小260人以上の殿様が失職してしまいました。実際は東京に集められて住まわされたのですが、家臣や知行地を治める責任から開放されたわけです。とはいうものの、それまでの家臣団を見捨てるわけにもいかず、さまざまな苦労をされたようです。中には、世渡り上手に過ごした人もあれば、すべてを捨て去った人もいるようで大変興味深く読みました。
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