
もう数年前のこと、納屋の整理をしていたら古い包みが見つかり、中を開けると浮世絵が出てきました。調べてみると、幕末から明治初めに活躍し、役者絵を得意とした豊原国周(くにちか)の作品のほか、明治10年に起こった西南戦争勝利の祝賀の図などでした。

豊原国周(1835~1900)は、明治期を代表する最後の浮世絵師の一人で、「役者絵の国周」として知られ、後年「明治の写楽」と呼ばれました。歌川派ながら、師の豊原周信の画姓を継いでいます。自ら認める変わった性格で、住いと妻を変えることが癖とも言ったそうです。転居は117回で、同じく転居の多かった葛飾北斎と比べ「絵は北斎には及ばないが、転居数では勝っている」と誇っていたといいます。妻も40人余り替え、長続きすることは無かったそうです。酒と遊びが大好きで、画料が入っても宵越しの金は持たないとばかりにすぐ使ってしまうが、困っている人を見ると助けずにはいられず、時には来客のものまで与えてしまうという非常識ぶりを発揮しました。

浮世絵の中に、九代目市川団十郎を描いた作品がありました。五代目 尾上菊五郎、初代 市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」を築きました。写実的な演出や史実に則した時代考証などで歌舞伎の近代化を図る一方、伝統的な江戸歌舞伎の荒事を整理して今日にまで伝わる多くの形を決定、歌舞伎を下世話な町人の娯楽から日本文化を代表する高尚な芸術の域にまで高めることに尽力しました。その数多い功績から「劇聖」(げきせい)と謳われ、歌舞伎の世界で単に「九代目」(くだいめ)というと、通常はこの九代目 市川團十郎のことをさすとのことです。

そして、それらの浮世絵の裏打ちした新聞の中から、とんでもない記事が出てきました。明治29年に起こった明治三陸沖地震と津波の被害を伝える現地ルポです。記者は遠野から釜石へ入って現地の様子を伝えています。
これらの浮世絵と明治の新聞記事を今回、東日本大地震から10年の節目となる来月、大阪で公開することとしました。その案内はまた明日のブログとします。

門井慶喜 新選組の料理人 光文社文庫/読了・・・・・・・・ひょんなことから新選組の賄いを任された主人公(たぶん架空の人なんだろうけど)が新選組の変遷の中で翻弄しながらも時代の波の中で生きていく姿、そして、次第に新選組とともに運命をたどって行ってしまう人生を描いています。題材が面白いので、引き込まれてしまいました。門井慶喜、上手いですね。
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