奈良大和郡山の永慶寺、実相寺 10/08
10月8日はいつもの生駒詣で、仕事なんですが、その帰りにテレビの「笑い飯哲夫をおもしろ社寺巡り」で放送された大和郡山のお寺を訪ねてみました。
最初は大和郡山城の南西にある永慶寺です、この山門は大和郡山城の南御門を移築したもので、大和郡山城唯一の遺構とされています。
もともと甲斐の国を治めていた柳沢吉保から始まる柳沢家が大和郡山へ転封されたときに甲斐の国にあった菩提寺の永慶寺を移転したものです。
柳沢吉保が黄檗宗を信仰した関係で、中国風のたたずまいの寺院となっています。
幕末から明治にかけての最後の藩主柳沢保申(やすのぶ)の墓です。
この方は、大和郡山の金魚の養殖を最初に手掛けられた殿様で、その後も大和郡山高校の創設にかかわるなど、現在の大和郡山の基礎をつくられた方です。
そして、永慶寺は初めての訪問かと思いきや、かぎろひ歴史探訪ですでに来ていたということがわかり、連れられてきたというのは何もわかっていないということだと実感と反省しきりでした。
今度は大和郡山の町中を歩いて、実相寺へやってきました。
このお寺は慶長年間(1596年~1615年)に徳川家康に大工の棟梁として召しかかえられた奈良出身の中井正清が正誉上人を開基として建立しました。
中井正清、江戸時代の建物に関しては大変重要な人物です、知恩院、二条城、江戸城、久能山東照宮、日光東照宮などの建築を主導しています。
ここには中井正清の奥さんのお墓があります。
実は薄いながら中井正清とのご縁を感じたため、このお寺の訪問としましたが、奥さんのお墓にある春香院という文字から、薄いご縁が少しだけ濃くなった感じで、とても清々しい気分になりました、合掌。
実相寺を出てみると、お隣が薬園八幡神社ではありませんか。
もう何回も来ている神社ですが、やはり自分で歩いてみないとそれぞれの位置関係がわからないものですね。






























































最近のコメント