奈良歩き

2025年10月31日 (金)

奈良大和郡山の永慶寺、実相寺 10/08

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10月8日はいつもの生駒詣で、仕事なんですが、その帰りにテレビの「笑い飯哲夫をおもしろ社寺巡り」で放送された大和郡山のお寺を訪ねてみました。

最初は大和郡山城の南西にある永慶寺です、この山門は大和郡山城の南御門を移築したもので、大和郡山城唯一の遺構とされています。

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もともと甲斐の国を治めていた柳沢吉保から始まる柳沢家が大和郡山へ転封されたときに甲斐の国にあった菩提寺の永慶寺を移転したものです。

柳沢吉保が黄檗宗を信仰した関係で、中国風のたたずまいの寺院となっています。

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幕末から明治にかけての最後の藩主柳沢保申(やすのぶ)の墓です。

この方は、大和郡山の金魚の養殖を最初に手掛けられた殿様で、その後も大和郡山高校の創設にかかわるなど、現在の大和郡山の基礎をつくられた方です。

そして、永慶寺は初めての訪問かと思いきや、かぎろひ歴史探訪ですでに来ていたということがわかり、連れられてきたというのは何もわかっていないということだと実感と反省しきりでした。

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今度は大和郡山の町中を歩いて、実相寺へやってきました。

このお寺は慶長年間(1596年~1615年)に徳川家康に大工の棟梁として召しかかえられた奈良出身の中井正清が正誉上人を開基として建立しました。

中井正清、江戸時代の建物に関しては大変重要な人物です、知恩院、二条城、江戸城、久能山東照宮、日光東照宮などの建築を主導しています。

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ここには中井正清の奥さんのお墓があります。

実は薄いながら中井正清とのご縁を感じたため、このお寺の訪問としましたが、奥さんのお墓にある春香院という文字から、薄いご縁が少しだけ濃くなった感じで、とても清々しい気分になりました、合掌。

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実相寺を出てみると、お隣が薬園八幡神社ではありませんか。

もう何回も来ている神社ですが、やはり自分で歩いてみないとそれぞれの位置関係がわからないものですね。

2025年10月22日 (水)

聖林寺からの道 桜井まで 09/26

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9月26日は、いつもの生駒詣での帰りに聖林寺さんへお参り、憧れの聖十一面観音さんにお会いして、ありがたい気分のまま、桜井までの道を歩いて下っていきました。

細い道沿い、その多武峰(とおのみね)街道にはキバナコスモスと彼岸花が咲いて色を添えていました。

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多武峰街道沿いにある西内酒造さんです。

「談山」の銘柄で多くの賞を受けた明治初期創業の酒蔵です。

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多武峰の談山神社の一の鳥居がありました。

今ではバスで行けるけど、ここをくぐって山の上まで歩いて参拝した時代があったのですね、大変ですよ。

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桜井の町中まで来るといくつかの古墳がありますが、そのひとつ艸墓(くさはか)古墳へ立ち寄りました。

古墳時代台後期、7世紀前半に築造された方墳です。

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羨道を入ると、巨大な家形石棺があります。

この背後に盗掘穴があり、残念ながら中には何も残されていません。

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大和の家型石棺の比較というのがあって、それぞれの特徴があらわされています。

市尾墓山古墳や菖蒲池古墳の石棺は見たことありますが、藤ノ木古墳の石棺はまだ見たことないですね、見れるんかな?

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もう桜井駅が近づいてきたころに立ち寄ったのが、櫻の井です。

第17代覆中天皇が愛した清水で、現在の桜井市の名称は、この「桜の井」と呼ばれる井戸に始まると言われています。

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下川裕治 僕はLCCでこんなふうに旅をする 朝日文庫/読了・・・・・・安かろう、狭かろう、サービスなかろうのLCCですが、それを使ってアジアを旅するためには、という本です。2017年の文庫書下ろしなので、今の情勢とは大きく異なるでしょうが、当時の日本に就航していたLCC各社の特徴をまとめた資料が巻末に付けられています。

2025年10月19日 (日)

秋のはじめ、聖林寺へ 09/26

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9月26日はいつもの生駒詣でのついでに足を延ばし、桜井から山腹にある聖林寺さんを訪れました。

おなじみの山門、やってくるとホッとした気分になります。

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聖林寺への階段を上がる脇には、清水比庵の揮毫による万葉歌碑があります。

倉橋の 山を高みか 夜隠りに 出で来る月の 光乏しき   巻3-290 間人大浦

揮毫者の清水比庵(1883-1975)は岡山生まれの書家、後に日光町長になるなど政治の世界でも足跡を残し、歌人、書家という活動から「今良寛」と呼ばれました。

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聖林寺さんには、その姿があまりに美しい十一面観音さんがおられます。

この方は、三輪山の神宮寺の一つ「大御輪寺(だいごりんじ)」の仏さまでしたが、明治初めの廃仏毀釈の嵐を避けるために聖林寺に移され、その後こちらを住まいとされています。

以前はフェノロサたちが寄贈した可動式のお厨子の中におられましたが、現在は2022年に完成した観音堂の中にすくっと立っておられ、360度の角度で全体を拝観することができます。

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聖林寺から見た桜井へ続く街並み、三輪山、それに続く巻向方面の広がりです。

いつの季節に来ても、聖林寺のお堂からの景色はいいですね。

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聖林寺を後にすると、稲を刈ったあとのあぜ道に、この季節ならではの彼岸花が咲いていました。

このころはまだ暑さが残る日々でしたが、季節は確実に移ろっていることを知らせてくれました。

 

ちょいと野暮用があって出かけますので、明日、明後日のブログ更新はお休みいたします。

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葉室麟 霖雨 PHP文芸文庫/読了・・・・・・・江戸時代の儒学者で教育者として、佐賀県日田市に初めて私塾「咸宜園」を開いた広瀬淡窓とその弟 久兵衛を主人公にした一冊。咸宜園は江戸時代の中でも日本最大級の私塾となり、80年間で、ここに学んだ入門者は約4,800人におよんだそうです。話しはその私塾を舞台に、天保の飢饉や大塩平八郎の乱などと絡めた時代小説という感じで、著者らしい情緒にあふれた作品でした。この塾の出身者には、高野長英大村益次郎清浦奎吾上野彦馬長三州横田国臣松田道之などがいるそうです。なお、2003年から20年間佐賀県知事を務めた広瀬勝貞は広瀬淡窓の弟、久兵衛の子孫である。

2025年9月20日 (土)

奈良国立博物館 開館130年記念写真展と「遥かなる響き」 09/10

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9月10日はいつもの生駒詣での帰りに奈良へ行き、開館130年を迎えた奈良国立博物館に立ち寄りました。

ちょうどそれを記念した「三千世界」と題する写真家六田知弘さんの作品展が開かれていました。

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六田さんは1956年に奈良の御所市に生まれ、ヒマラヤ山中のシェルパの村で暮らすなどして撮影を続けた方のようです。

そのほか、アジア各地の仏教美術や国内の文化財の撮影などを行ってきたとのことです。

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並べられた作品はこのように仏像などの撮影が多くありましたが、とても美しい風景を醸し出していました。

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一つ一つはそれぞれの解説を見ながらでしたが、このような展示をしているとは思っていなかったので、思わぬ拾い物という感じで楽しめました。

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もう一つ、同じフロアにあったのが、日本画家の千住博の作品「遥かなる響き」です。

これも開館130年を記念した作品ということで、巨大なシーンを創出していました。

いずれも本館と仏像館を結ぶ通路での展示なので無料で見ることができます。

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小林淳 日本の作曲家「伊福部昭」 YAMAHA 1冊でわかるポケット教養シリーズ/読了・・・・・・日本の作曲家の中の巨人、伊福部昭の伝記です。日本のクラシック音楽は西洋の模倣から始まりましたが、伊福部昭は独学で作曲をはじめ、音楽のヒントもアイヌの民俗音楽や日本の民謡、古謡などが原点であり、独自性が際立っています。もともと鳥取因幡の一宮である宇倍神社の神官を65代以上にわたって連綿と続けてきた家柄であることもその音楽の根幹なのでしょうね。91歳と長寿だった、ゴジラばかりではない伊福部昭の生涯を垣間見ました。

2025年9月19日 (金)

奈良 興福寺境内を歩く 09/10

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9月10日はいつもの生駒詣での帰りに奈良へ足を延ばし、近鉄奈良駅から東へ向かいました。

そうすると自然と興福寺の境内に入ることになるのですが。

東向き商店街から不開坂を上ると鎌倉時代に再建された国宝の北円堂があります。

鎌倉時代1210年の再建で、興福寺に現存する中で最も古い建物ですが、現在東京国立博物館で特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」が開催中のため、弥勒菩薩さん以下、皆さん関東へご出張中です。

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こちらは、つい最近の2018年に再建された中金堂です。

中には、興福寺ご本尊の釈迦如来さんのほか、薬王菩薩さん、薬上菩薩さんが左右におられます。

その他四天王さんがおられますが、中金堂ができたのを機会に南円堂から移されています。

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さて、その中金堂と並んで見えるのが覆い屋で覆われた五重塔です。

五重塔は昨年から始まった修復作業中で、5~6年くらいは残念ながらこのままの様子のようです。

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江戸時代に再建された南円堂、江戸趣味のごてごてした建物ですが、なぜだか特に外国人が集まる場所です。

この建物の背後には鎌倉時代の名建築である三重塔がありますが、少し隠れたルートにあるため、そちらは静謐な空気が残っています。

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五重塔の北側にある東金堂、室町時代の1415年に再建されました。

屋根を少し広げた感じが好きで、興福寺の中でも私の好みの建物です。

このように興福寺の境内を歩いて、奈良公園の方へ向かいました。

2025年7月 8日 (火)

冷気を求めて生駒ケーブルで山上へ 06/25

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6月25日はいつもの生駒詣で、(仕事なんですが)、あまりの暑さに参って、昼から生駒山の山上へ行ってみようかと、久しぶりに生駒ケーブルに乗りました。

2線ある生駒ケーブルのうち、この日はミケとブルが運転されていました。

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徐々に高度を上げていく生駒ケーブル、名物のケーブルカー路線を横切る踏切があります。

なかなか他では見られない、車が横断していくケーブルカー路線です。

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ケーブルカーの中継駅である宝山寺駅に到着しました。

ここにはひと世代前のケーブルカーがおかれています、時々は動いているようですが。

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この駅で山上線に乗り換えてさらに高みを目指します。

駅を出たところからいきなりトンネルに入るという珍しいケーブル路線です。

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生駒山の山上へやってきましたが、気温は少し低いものの、湿度が変わらず、また風も緩いので期待したほどの涼しさには出会えませんでした。

生駒山から見た大阪平野、遠く大阪湾から明石海峡、明石海峡大橋まで望めました。

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生駒山にある生駒山上公園にはいろいろな乗り物があるのですが、それは興味の外、親子連れやインバウンドのお客さんが楽しんでいました。

ひとつ、中腹にある駐車場と山上を結ぶモノレールだけは本格的な乗り物でした、これに乗るのにも300円が必要なんですけれど。

2025年6月25日 (水)

牽牛子塚古墳と越塚御門古墳へ 06/12

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6月12日は飛鳥を訪れ、その西側にある真弓の里を歩きました。

やってきたのは、2022年に築造時の姿に復元された牽牛子塚古墳です。

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牽牛子塚古墳は、築造時にこのように切り石が覆われていたということで、まるでUFOのような姿であったとされています。

南側に開口部を再現し、階段を設けて石室に近づけるようになっています。

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階段を上がると、石室の内部を少し見ることができ、石室の中が2室になっていることがわかります。

これにより、牽牛子塚古墳は斉明天皇と娘の間人(はしひと)皇女の合葬墓ではないかと推測されています。

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発掘調査の結果、牽牛子塚古墳は古墳時代後期に見られる天皇陵の特徴である八角墳であることがわかりました。

実は、このような姿になる前の牽牛子塚古墳に何回も来ていて、ただただ復元された姿に接したかったのです。

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2010年に新たに牽牛子塚古墳の南東側に隣接して越塚御門古墳が発見されました。

こちらは石槨の一部を見ることができ、室内では映像による解説が流れていました。

この古墳は日本書紀の記述から、斉明天皇の孫の大田皇女の墓ではないかと推測されています。

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牽牛子塚古墳を見下ろす丘にやってきました。

ここからは牽牛子塚古墳越しに飛鳥の里の中心部を見ることができ、ここが一等地であることがわかりました。

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瀧音能之 監修 日本書紀が解き明かす日朝古代史の謎 宝島社新書/読了・・・・・・・題名の通り、日本書紀に書かれている日本というものについて書かれているのはいるのですが、その動向については朝鮮半島での内容が多く、そのあたりの知識がないので、理解が及びませんでした。意外にも、古代から半島での騒乱に巻き込まれていく九州豪族やヤマト政権があったということで、その部分は記憶にとどめました。

2025年6月24日 (火)

飛鳥、真弓を歩く 06/12

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6月12日は橿原考古学研究所付属博物館へ行った日で、その後は久しぶりに飛鳥を歩いてみました。

それも観光客が行く飛鳥ではなく近鉄飛鳥駅の西側、真弓の地です。

古い道標には、左おかてら(岡寺) 右こんかうさん(金剛山)などの文字が刻まれています。

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路傍の石仏、飛鳥には多くの石仏が歩いて通る人々を見送ってくれます。

おそろいの前垂れがかけられています。

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少し歩いていくと、許世都比古命(こせつひこのみこと)神社がありました。

許世都比古命は、巨勢氏の祖である武内宿禰の第五子であり「五郎(老)神」ともいわれる巨勢地方の産土神で、巨勢氏の祖神でもあるそうです。

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なにやら、たいそうな神社ですが、拝殿から振り返ると、静寂な雰囲気が感じられました。

まだまだ知らない飛鳥があるものですね。

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いろいろ歩いている道路沿いで大きな敷地をフェンスで囲う工事現場がありました。

なになに?とみると、「仮称・明日香村旅館計画 新築工事」とあり、なんと星野リゾートによる開発でした。

場所は真弓鑵子塚古墳(まゆみかんすづかこふん) の南側、こんなところに星野リゾートはいらんぞ!

2025年6月22日 (日)

飛鳥駅裏の岩屋山古墳 06/12

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6月12日は、橿原考古学研究所附属博物館へ「桜井茶臼山古墳」展を見に行った日ですが、さらに現物を見たくなって近鉄電車に乗って南下し、飛鳥駅で下車して、駅の西側すぐにある岩屋山古墳を訪ねました。

本当に駅から歩いて1分ほどのところにあって石室に入ることができる親しみを覚える古墳です。

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きちんと整備された階段を上ると石室が開口しています。

この季節すでに虫や蛇がいることが懸念されましたが、そのような気配はありませんでした。

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石室の中は見事な花崗岩の切り石が表面を磨かれて積まれています。

しかもその石の大きさがそろっていて、隙間を漆喰で固めている丁寧な仕上げとなっていることがわかります。

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その丁寧な造りは振り返って見る羨道部の構造からも明らかです。

玄室の長さ4.9メートル、幅2.7メートル、高さ3メートル、羨道の長さ12メートル、幅1.9メートルを測る巨大な構造となっています。

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岩屋山古墳は一辺45メートル前後の方墳と考えられていますが、天皇を葬ったとされる八角墳と見る説もあり、その丁寧な築造からは、さもありなんと思われます。

なんといっても、駅から近くて、高度な技術で作られている巨大な石室を見ることができる貴重な古墳です。

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吉川永青 高く翔べ 怪商・紀伊国屋文左衛門 中公文庫/読了・・・・・・紀伊国屋文左衛門というと、みかん船を仕立てて荒海を越え江戸へ運び巨大な富を得た物語が、三波春夫によっても語られた江戸の豪商ですが、それ以外にもその人生をたどるとこんなに面白いのかと大いに感じ取りました。莫大な富を築きながら、一代で店を閉じた商人の生きざまに感動しました。これは読み終えるのが惜しい、とても面白い本でした。

2025年6月20日 (金)

橿原考古学研究所付属博物館 国宝などなど 06/12

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6月12日は、橿原考古学研究所付属博物館へ「桜井茶臼山古墳」展を見に行った日ですが、同博物館の常設展示区域にも様々な出土品などが展示されていて、いつ見ても目を奪われます。

見事な流水紋が刻まれた銅鐸の数々です。

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こちらは奈良県川西町、少し前に歩いた太子道から近い島の山古墳から出土した鍬形石です。

島の山古墳は古墳時代前期、4世紀の築造ですが、鍬形石は貝で作られた腕輪をまねて作ったものと言われています。

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埴輪の中から見事な造形の馬埴輪です。

見たままではなく、馬具をつけた姿をデザインしてバランスよく表現しています。

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法隆寺近くの藤ノ木古墳から出土した金銅製馬具です。

製作当時の輝きを今に伝えています。

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上の馬埴輪の首にかけられたベルトに取り付けられたものがこれらなのでしょうか。

馬が歩くごとにきらきらと輝き、ジャラジャラと音がしたことでょう。

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これは、現存する日本最古の歴史書「古事記」を編さんした太安万侶の「墓誌」です。

太安万侶の墓誌は1979年1月、平城京から約7キロ離れた奈良市東部の此瀬町の茶畑から偶然発見されました。

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