家原寺近くの史跡など 和泉式部旧居跡など 09/17
9月17日は歴史探訪・番外編の下見を兼ねて阪堺線浜寺駅前から歩き始め、行基さんの生まれた寺、家原寺を経て、その近くの史跡を巡ってきました。
家原寺の南、住宅街の間の細い道を入った先にあるのが、和泉式部旧居跡とする場所でした。
ここは和泉式部の夫の橘道貞が和泉守として赴任した際に住んだ屋敷跡とされています。
そういえば伊丹の緑道近く、西国街道から少し入ったところに和泉式部のお墓とする五輪塔がありましたが、和泉式部さん、関西のいろいろなところにご縁の場所があるようです。
今でいう「恋多きひと」だった和泉式部さん、最後は藤原保昌さんと20年も夫婦として過ごしたようで、それが伊丹の五輪塔につながっているとか、もう少し調べないとわかりませんけれど。
くねくね、アップダウンの細い道が続く住宅街を歩いていくと、真新しい鳥居や玉垣に囲まれた菅原神社がありました。
堺の菅原神社というと、大小路の近くにある神社が有名ですが、そちらとも関係しているのでしょうか、いずれにしても天神さんのお社です。
菅原神社から南東へ行ったところにあるのが、清光山 華林寺寺です。
創建は飛鳥~奈良時代にさかのぼるとされ、行基さんが13歳の時に母方の蜂田連(はちたのむらじ)氏の氏寺として創建したと言われています。
さらに行基さんが39歳の時、慶雲3年(706)に母親の供養のため再興されたと伝えられています。
今は無住のお寺のようですが、きれいに掃除されていて、とても落ち着いた境内でした。
さらに南へ歩くと、蜂田連に関係する蜂田神社がありました。
夏には1500個ほどの風鈴が境内に吊らされ、風鈴の神社として有名だそうです。
行基さんは大阪においても、狭山池(大阪狭山市)、久米田池(岸和田市)、鶴田池(堺市)などの灌漑池の築造に関わったとされています。
この歴史探訪・番外編は行基さんの生誕と母親のご縁を訪ねるコースになりそうです。






























































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